科学を学んでも、日常生活には何の役にも立たないのでしょうか?生活の役に立たない科学は本当に無駄なのでしょうか。
■:はじめに
まずはじめに、理科とか数学を何年もかけて学ぶのは“時間の無駄”、というご意見を持っている人の心情は分からなくはないです。
むしろ、僕も理科や数学どころか「科目」というカテゴリに含まれる教養を半強制的に何年も学ばされている事に苦痛を覚えている人間でしたので(笑)、昔(中学~高校時代)の僕にとっては無駄と感じている科目は理科や数学どころか、すべての科目に対して、”無駄”と感じていました。笑
さて。そんな僕を含む「学ぶのは“時間の無駄”派」は、そんな意見をどういう理由で主張するのでしょうか。
■:将来役に立たない事に時間をかけたくない
「学ぶのは“時間の無駄”派」の主張の大半は「将来の役にも立ちそうにないから」というものです。
なるほど、確かに将来役に立たないものを学ぶというのは非効率な生き方かもしれません。
では逆に考えて、当時の僕は人生は無駄なく効率よく生きていたかったのでしょうか…。学校から帰ったらすぐゲームの電源を入れ、深夜2時半までやっていた僕には無駄しかなかったはずなのでそんな事はなかったと思います。(きっと当時の僕以外のこちら側の意見の人も、少なくとも少しは無駄な生き方はしていたはずです)
じゃあ、なんで僕をはじめとして無駄ある生き方をしているのに、勉強の話になると途端に「何の役にも立ちそうにないし、学ぶ時間が無駄で非効率だ」と主張するのでしょうか。
それは、なぜか勉強の事となると「役に立つものしか学びたくないという“効率”」を重視してしまう、という事が要因なのではないでしょうか。
趣味や娯楽のように「将来役に立つか立たないか」ではなく「楽しいから時間をかける」「楽しいから覚える」といったもう少しゆるい視点で勉強を捉えられれば、きっと「生活の役に立たない科学を学ぶの無駄」といった主張が減ってくるのではないかと僕は思っています。(将来役に立たないものを学校で学ばせるというのはどういうことだ!という主張があればまたそれには別の機会で意見を言わせていただきますね)
実際に江戸時代、日本において数学というものは娯楽の一つでもあったわけですが、
娯楽というものは人間の生活において欠かせない存在です。
理系出身じゃなくても、研究者ではなく今後実験器具に一切触れる事のなく科学の発展にはきっと携わらないだろうという人でも、科学のニュースを好きなようにかじり、好きなように調べていいのです。
役に立たなくても、知りたければもっと知っていけばいいのです。
少し肩の力を抜いて、今なおさらに加速し続けている科学に向き合ってみてはいかがでしょうか。
書いている人のプロフィール

横山明日希(@asunokibou) 数学のお兄さん。理系、恋愛、WEBの3本柱でイベント開催やコラム執筆など。キーワードは「日常に科学を、人生にワクワクを」「世の中のミスマッチをなくす」「掛け合わせればナンバーワンになる」 詳細プロフィールはこちら